“『ゴドーを待ちながら』は2幕劇。木が一本立つ田舎の一本道が舞台である。
第1幕ではウラディミールとエストラゴンという2人の浮浪者が、ゴドーという人物を待ち続けている。2人はゴドーに会ったことはなく、たわいもないゲームをしたり、滑稽で実りのない会話を交わし続ける。そこにポッツォと従者・ラッキーがやってくる。ラッキーは首にロープを付けられており、市場に売りに行く途中だとポッツォは言う。ラッキーはポッツォの命ずるまま踊ったりするが、「考えろ!」と命令されて突然、哲学的な演説を始める。ポッツォとラッキーが去った後、使者の少年がやってきて、今日は来ないが明日は来る、というゴドーの伝言を告げる。
第2幕においてもウラディミールとエストラゴンがゴドーを待っている。1幕と同様に、ポッツォとラッキーが来るが、ポッツォは盲目になっており、ラッキーは何もしゃべらない。2人が去った後に使者の少年がやってくる。ウラディミールとエストラゴンは自殺を試みるが失敗し、幕になる。
説明
2人が待ち続けるゴドー(Godot)の名は英語の神(God)を意味するという説もあるが、ゴドーが実際に何者であるかは劇中で明言されず、解釈はそれぞれの観客に委ねられる[2]。木一本だけの背景は空虚感を表し、似たような展開が2度繰り返されることで永遠の繰り返しが暗示される。
評価
ストーリーは特に展開せず、自己の存在意義を失いつつある現代人の姿とその孤独感を斬新なスタイルで描いている。当初は悪評によって迎え入れられたが、少しずつ話題を呼び人気を集めるようになった。同作品は不条理劇の傑作と目されるようになり、初演の約5年後には、20言語以上に翻訳され、現在も世界各地で公演され続けている。
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